会長敬白

8.あのリヤタイヤ

Montjuich バルセロナの丘・モンジュイと命名されたパンタ系のスペシャルモデル。いや、「純正レーシングモデル」と私は今でも思う。1986年、世界200台限定発売、日本には村山モータースさんを通じて129台も輸入されたらしい。お陰様で、翌1987年にその内の1台が私の手元にやって来た!

モンジュイのアウトラインを今更ながら自分の復習も意味の含め・・・以下、Wikipedia 「ドゥカティ・F1シリーズ」2010/01/26時点の部分転載

 搭載されるエンジンは排気量こそ通常版と同じながら随所に改良が施され、最大出力95psを発揮した。具体的な変更点としては、給排気バルブの大型化とそれにあわせて燃焼室を拡大した専用シリンダーヘッド、専用ハイリフトカムシャフト、高圧縮ピストン、軽量フライホイール、アルミ製クラッチハブ、デロルト製40mm大口径キャブレター、ベルリッキ製専用メガホンタイプマフラー等が挙げられる。

 車体も幾つか変更され、アルミ製角断面スイングアームや専用サイズの2ピース型軽量ホイールを採用している。特に前後ホイールは極太サイズを採用するあまり市販の公道用タイヤで適合するものがなく、前輪が12/60-16、後輪が18/67-16という寸法のレース用タイヤ ミシュランインターミディーを標準装備としていたのが大きな特徴となっている。前後ブレーキは、ディスクローター径は通常版と同じながら、前のみ対向4ポット式ブレンボ製キャリパーへ変更されている。また車両乾燥重量は様々な装備の変更と軽量化のお陰で通常版が175kgのところ155kgに収まっている。

 1986年は、ドゥカティがカジバと業務提携し、車体ロゴは、カジバの象さんマークが添えられ字体もカジバと共通した新しいものとなっていた。好みは一応持っているが、グラフィックに特に凝りは無い。特にモンジュイに関しては。ナカミに強烈に惹かれているもので。

 業務提携といっても技術提携とかいったものでは無く、「台所が少し辛いので・・・」と経営的にはカジバの傘下に入ったことになる。こうした経営的にシンドイ時期に、こんな!!モンジュイみたいな純正レーシングマシンを出すところがスゴイ!これがイタリアしている?

「開発に幾ら掛かったから、これだけは売らなきゃ」
「より多くのユーザーに満足していただける最大公約数的モノを」

といった「ビジネスの常識」の欠片も感じさせないモデル投入。潔さを越した、哲学のようなものを感じます。徹底してレーシング。NCRの7番と呼ばれるレーシングカムシャフトと同じモンジュイカム。このカムのための専用ヘッド。それ廻れ!ってデロルトは40φが付く。回転が上がってカムにトルクが乗って来る!どんどんトルクが乗り続ける感覚。未だに新鮮かつ魅惑の味です。

 こんな、「カム1本、先に在りき」ここから、車体全体を作り込む、バランスさせる。メーカーが純正でレーシングパーツを中心に据えて、「さて車体を作り込むぞ」っていった姿勢がとてもとても大事。以上、勝手な想像だけど私は、とても偉い立派なことだと思います。

 メーカーとして良くもまぁこんな時期にこんなことを仕出かしたものだと思う。経営が苦しかろうがナンだろうが、正しい?コトはやる!ここがドゥカティのドゥカティたる由縁か。(今は企業として正しい?製品造りに目覚めたDUCATI MOTOR HOLDING・・・古いオヤジは若干寂しい思いする事有ります。が、国内4メーカーさんの色気と夢が見えない工業製品と比べると段違いに楽しいバイクを創り続けてくれてます)

 こうした生い立ちを尊重して、高回転でキッチリのセッティングで乗り始める。と、確かにスローが効き難かったりはする。発進とか街乗り加速もそれなりのコツが要る。まるで2サイクルエンジンだった。750CCなのに発進時には3.000RPM以下でクラッチ繋ぐと即エンスト。16歳の公道デビュー以来2サイクルエンジに縁遠かった私にとって、訳の判らない4サイクルエンジンだった。 

 手に入れた後1年間は峠で楽しむことから、なんとツーリングまでモンジュイ一筋で通した。関東の有名ショップ、Pハウス Nさんが改造したキャブレターを同じモンジュイ仲間のMさん(なんと、岡山にもう1台居た)が見せてくれたりして「いかに全域で気持ち良く燃やす事の出来るエンジンに出来るか」をテーマに永遠とキャブ調整と改造?を繰り返した。

そして出た結論。
信号待ちでは必ずエンジン止める。エンジンが喜ぶコースにしか連れて行かない。みんなで行くツーリングには使わない。自分だけの時専用車として使う。

ツーリングと半クラの練習用に88年式のNSR250を買った。ようやく判った。こりゃウチのかァちゃんと一緒じゃ!

2005年3月。色濃い我侭おばさん二人(モンジュイとかァチャン)をデイトナに連れて行った。日本仕様のまま。デイトナガスを初めて飲み込んだモンジュイが言った。

「もっと頂戴!!もっとモット!」

ご要望通りにメーンジェット10番UP。日本のガソリンだと1/5は捨ててしまう程の大穴ジェットに。
燃えた!! 走った!! バンク上段まで昇った!!しかし・・・9000回転で止まってしまう。

「もう5番下げよう」

と決めた所で差し掛かったバンク終わりの1コーナー。前を行くドゥカ900SSが突然白煙を吐いて止まった。エンジンブロー・・・いきなりの。これを見て「このまま行こう」と迷わず決めた。大穴ジェットのお陰様で、4レース堪能させてもらった。

 こうして、パワー特性っていうか、エンジンセッティングは充分楽しませてもらったが、純正で付いていた18/67-16ミシュランレーシングインターミディー。これには降参、ホントまいってしまった。

 何が違うってこの太さ。なんと横幅18センチ!このタイヤを使い切れるのはGPライダーだけ。って極太サイズ。その年のGP500クラスチャンプ、ワインガードナー御用達のタイヤでもあった。この純粋レーシングタイヤ(しかもバイアス)を公道で使うとどうなるか。

 どんな状況にあっても真っ直ぐ走らない。潰れていないコロコロ転がるだけのタイヤの醸し出す緊張感、怖さ。縦方向の段差に忠実に反応して勝手に左右にハンドルを切ってくれるリアタイヤ。真っ直ぐに走らない。バイクの主輪は後輪だって事をつくづく教えて下さったこの極太バイアスタイヤ。

 現在我々が手に入れる事の出来るサーキット専用タイヤは全てラジアル構造。それをバイアスタイヤで実現したタイヤを体感。緊張させて、困惑、当惑させて頂いた数少ない経験者となった幸せ者?の私でした。

曲がっている途中でもタイヤは「もっと負荷をもらわんと曲がらんで」、エンジンまで「もっと廻さんかい」と言ってくる。公称95馬力のマシンに装着された180馬力に耐えるタイヤは結局最後まで使い切る事出来なかった。いやはや、このタイヤにはホントに参った、降参。

後年、このタイヤの話しになり、当時の村山さんの営業部長曰く

「数々試乗に出したけど、あのリアタイヤを使い切って返して来たのは根本さんだけですからねえ」

 その後、市販ラジアルタイヤで対応するサイズも出て来たこともあり、最初に交換したのは魔法のタイヤ・ミシュラン59X。この時の変化たるや!まさに目からウロコ。ラジアルはエライ!!峠レベルでもサイドウォールがグニュっと潰れて路面からのショックを吸収してくれる。トレッドに刻まれた深い溝が伝えて来る接地感。曲がるコト曲がるコト。真っ直ぐちゃんと走る。

 真っ直ぐ走っていても、楽しい。楽しめる。心に平和をくれた59X。コーナリングでは、今、皆さんが感じていただいているはずのドゥカの「曲がり具合」って言うかテイストをあっさり簡単に提供してくれた。もう絶好調!これがモンジュイなんだ!心に再点火してくれた、2度惚れさせてくれた瞬間があったのでした。

こうして、初めてモンジュイと一体になった時。1989年の春を迎えていました。

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