会長敬白

7.運転資金より先にモンジュイのローン

「かァーちゃん。すぐにひゃくまんえんと少し
 用意してちょうだい」

「えっ!百万?・・・と少し?・・・用意するって・・・」

 今から思えばこのモンジュイの出会いが私達2人、いや、プラスワンの出発点だった。このモンジュイに出会ったことが、単に「バイクが好き」だから始めたバイク屋が、「バイクの楽しさ・ヨロコビ、特にドゥカの楽しみを多くの人に知ってもらいたい」をベースに置いたバイク屋になっていく出発点であったのです。

 また、その結果として今日に至るまで好きなバイク屋でもって一家で口に糊することが出来ているのも、このモンジュイのお陰。しみじみと今感じ入っております。これはかァーちゃんも同じ、はず。と、今となっては自信を持って、私の事業の基幹、礎とも言えるこのモンジュイ。しかしながら「下さい。買います。売ってください。イイですか」と現車を見て1分以内に言った時の私は、そんな事業の方向性だとか、ましてやドメインとかといった領域を感じていたわけでは無い。事業家としての本能なんてモノは未だに持っていないと自信を持って言えるので、当時も有ろうはずが無い。

 村山さんのショールームでの出会いでは、「名月を取ってくれろと泣く子かな」状態にある自分と認識出来ていた。実際に世界即時完売となってしまったし。

 それが、岡山で、しかも取引先のディーラーに出現した。一転、月でも金星でも無く「私が乗るべき運命にあるモンジュイなんだ。これは」と「縁」以上に深い「運命」なんだと、真面目に、また勝手に何も抵抗なくすんなり決め込んでいた。

 ココロの底から「欲しい 要るぅ~ 欲しいよォー」と、ホントに真面目に欲しがっている(バイク欲しい病発症、また)としか受け止めてもらってなかったけども、今回ばかりは、運命的なバイク欲しい病発症だったのであります。はい。

「そういうことならすぐ要るはナー。作るって
 作れるモンじゃないから、借りてくるわぁ。
 貸してくれるかなぁ。それに貸してもらったら
 返さにゃいかんで」

「かァーちゃん。頑張るから!頑張るから!
 まじめに仕事しますから」

 普通の顔してかァーちゃんは言ってくれた。すぐに200メートル先の信用金庫に向かって出掛けて行った。当時、少ないながらも新車のスクーターがコンスタントに売れたりし始めていたし、中型車もポロポロ売れて、下取り車なんかも入ってきていた。釣り銭以外に生活費以外に、純粋な運転資金としてせめて100万円くらいは常時残高として必要だなぁと、2人で言っていた時期でもあった。借り入れるべきは事業運転資金である時期にあった。こんな時に。

30分後、またもや普通の顔で戻って来たかァーちゃん。

「ど、どうじゃった。借りれた?」
「そりゃー私の言う事聞かんかったら困るの向こうじゃモン」

の一言で終わった。なんじゃ!この自信は。実に頼もしい。預金残高を遥かに超える借金を普通にしてきた我が妻でした。

 頼んで、借金に即出掛けて行ったかァーちゃんを見送った後、しみじみ考えた。ここにきて大丈夫かいな借金までして、とかの逡巡ではなくて「うん。これは絶対運命なんだ。私に乗られるべきものとしてモンジュイがあそこに現れたんだ」と、実はもう自分のモノになった気分で・・「ちょ・ちょっと待てよ!残りのもう半分はスズキさんでローン組むって言ってなかったよなー」その夜そーっと打ち明けた。

「あのモンジュイ218まんえんなんよ」

その後の様子は皆様ご想像通り。

 何でほんのちょっとの走行距離で私の元に現れたか。当然、私に乗ってもらいに現れたに違い無いが、何ですぐに私に向かって手放してもらえたか。結果的に、86年にあってモンジュイはドゥカのトップエンドモデル。どうせ買うなら、一番高いヤツ。って、買える人ならやりそうなこと。

 メーカー純正のレーシング仕様。高回転域(だけ)でドッカンとパワーを出す、あまりに潔過ぎる極端なオーバーラップのカムシャフト。村山さんで初めて実車を見て、ベルリッキレーシングエキゾーストの轟音を聞いて

「よーまー日本の車検通るもんじゃ。外車なら
 何してもエエぇんかい」

 村山さんの法的、社会的な努力で叶ったこととは思うけど。あのアメリカでさえ、「車両登録」は出来ずに市販レーサーとして輸入したとか、後で聞いた。こんな「純正レーシングマシン」をトップモデル!として買ったら、ガレージコレクションになるしかない。こんな必要でも十分でも無い条件だけど、相整いまして、やってまいりました。私の元に。

 後日知った事。昭和年代のバイクは排気音規制の対象外。今でもこの轟音のまま日本の車検通ります。昭和の最後に輸入されたバイクだったのです。

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