会長敬白

6.私見・二輪業界の人々

前回は開店時(86)の国内車体メーカーの1次店のコトを当時の私の主観でもって、アレコレ書かせてもらいました。今回は、商流からいうと、その下。この業界におけるお客様最前線、つまり私がその隅っこに飛び込んだ2輪販売修理関連業界の当時の様子を思い出してみます。
 様子って言っても、これまた当時の私、業界新入生のタダの主観。何の役にもたちませんが、当時私が感じた、岡山市近郊の販売店系業界の在りようを書いてみました。
さて、販売業界の老舗・大先輩のお店から。

 「アソコに行けば何でも見える、何でも買える」
と岡山地区で広く認められた老舗が、繁華街の一角にどぉ~んと。街中のアチコチにも事業所を置いていらした。ファミリーバイク・BIGバイク・競技用バイク・外車、ドゥカと同じ色の特定事業向けのビジネスユース車なんかもたくさん出荷されていたように記憶している。
 ホントに何でも有った。どんな要望にも答える2輪車総合ショップ。一体全体、何台売ってるんだろう?店舗の前を通る度に思った。「月間」とかじゃ多すぎて勘定出来ない。たぶん「1日何台」って勘定されてるのかなぁ。とか、大きなお世話の心配を差し上げていた。そう言えば当時は毎年、ホンダの販売店で新年会なんかもあった。今でもこういった催しはあるのだろうか。ここで、いつも表彰されていたのがこのお店。じゃなかった、この会社。
 年間販売台数、ウン百台とかいって表彰されていた。ホンダだけでの数字で。バイクと言えばこの会社と言われる程の有名老舗。こんなにスゴイ量販店だから、開業当時、私のトコに修理で入って来るバイクの半分は、そのリアフェンダーに「U」のステッカーが貼ってあったと思う。どう言う訳かここで買われたお客様のバイクがよく修理に入って来た。

同級生新規開業店の傾向、様子。

 ちょうど同じ頃に独立開業されたお店がたくさん有った時期。ただ私と違って、ズぅーっとこの業界に居た人達ばかり。店の前を通ると「いらっしゃい・ようこそバイク屋へ」と、お店全体がちゃんと訴えるお店作りが出来る人達。そんなお店が、私と前後して開業された。
私のお店の場合、開業して10年たっても・・・
「ここにバイク屋さん有ったんかなぁ?何時からされとったん?」
と、よく言われた。しかも近所にお住まいの人に。そう言えばこんなコトもあった。
「この近くにバイク屋さん無かったかな?知りません?パンクして困っとんじゃけど」
と、コーバの前に立っている私に訊ねる人も度々有った。いったいウチは何屋さんに見えていたんだろう。世間の人達には。

Aさんのお店

 Y社の主力販売店として羨ましい程とてもとてもキレイなお店だった。なんてったって奇麗なショールーム&絵に描いたような工場。Y社商品は当然のコト、全車展示されている。私にとっては、理想的なバイクShopと呼べるお店でした。当然現在も。
 実は私、自分のお店仕舞った後、よく外からショールーム見に行ったものです。
「えぇーなぁ。こんな店」
「何時かはこんなお店が欲しいよなー」
って独り言漏らしながら、子供の様に。
Aさん見られてたら、とても気味悪い思いをされたコトでしょう。こめんなさい。店先にヨダレまでは垂らしてません。

Bさんのお店

 K社の専売店。永くK社のメカニックとしてお勤めされた後、独立されました。技術力を売りにしたKマニアの為のお店。
「修理屋さん」といったイメージで、アカ切れ&爪の間のオイル染みを絶やさない私と同じ手に親しみを覚えた。今も変わらず正しい修理屋さんをされている。Bさんの生き方が時々羨ましく思える今の私だったりします。

Cさんのお店

 H社の商品を主力にしたお店創りで、メーカーのデカイ看板が目印だった。やはり以前からこの業界で生きて来られた先輩。ちゃんとした経営者がされてるお店。といったイメージだった。
行き当たりバッタリ・出たトコ勝負の私のお店とは、既に入り口で違っていた。今思い起こすに、顧客満足度とか、地域貢献とかの意識をちゃんと持っておられていて、開店当初からそういったコトを大切にされているお店だった。
 早くから自分のお店を手に入れられ、当時の私には持ち様の無い「店風」を醸しておられ、このお店も羨ましい存在だった。


さて、次は中古に関係する業界の在りよう。

 この年は2輪車オークションが全国で始まった時期にもあたります。開業して直ぐに先輩が誘ってくださった。
「内田君もオークションに行かんと、これからの時代に取り残されるよ」
って言われ、何度か先輩のバイク屋さんに連れて行ってもらった。
 毎年の様にモデルチェンジが行なわれた。いや出来たあの良き時代。高年式の下取車がワンサカと出品され、みんな目の色変えて競っていた。売る方も乗る方も、同じバイクに3年も乗っていると、随分旧型に感じた時代でした。新車が売れなくなって、当然のコト、中古車の年式がドンドン旧くなっている今とは隔世の感が有ります。
 店舗持たずにオークション転戦で商売されていた人達もたくさん居た。九州で買ったバイクを翌週は大阪に持っていって売る。そしてまた違うバイク買って、また九州に。とか。
初っ端の運転資金を借りてでも、オークションデビューすれば、収支はプラスに振れた時期だったかもしれない。けど、ナンカ違う。自分がイメージしている「バイクの販売」とあまりに違った世界。なんか・・・競りにかけられるバイクがカワイソ。そんな感情も持った。で、現在に至るまでオークションにはどぉーも・・・縁遠いままです。


 そう言えば、この業界、まだこんなコトもある時代だった。
スクラップを放りこんだドラム缶が一杯になるのが楽しみの1つになっていた。
あの頃は。

「アルミはこっち。鉄はこっち。さてさて、一杯かぁ。よー仕事したなぁー。コンだけ溜まったから・・・ふむふむ、シメテ3千円じゃな!」

 呼ばなくても、定期的に向こうの方から金属ゴミの回収をしてもらえた時代でもあった。当然のコト、その晩は閉店まで居たお客様を誘って、みんなでホルモン&ビールだった。
 修理の仕事をした後の残骸が「余禄」になっていた。ささやかながら、結構楽しめた。「コーバ売上」の件数だ、ヤレ額だといった管理は一切無用。修理仕事の量の立派なモノサシになってしまっていた。「最近ホルモン行ってねーなぁ。ここんところ、コーバ仕事が少ねんかもしれんなぁー。まぁパチンコでもちょっと行って、仕事来るの待っとコー」って。・・・うぅ~ん。とても良い時代であった。
 廃車なんかもちゃんと持って帰ってもらえた。当時のスクラップ価格は、スクーター3~5千円。2輪車のカタチをしていれば5千円以上の価格で持って帰ってもらえた。処分してもらうにあたって、お金を払う時代が来るとは・・・夢にも思ってなかった。あの頃って、随分とシアワセだったかも知れない。今想うに。

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